田原苑でのコンサートに行きました。とてもよかったです。でも、ちょっと悲しい気持ちになりました。
教員 赤松です。今日は夕方から出張あります。大阪市内にある病院へ実習承諾書について説明をしに行きます。この承諾書は学生が実習を受けたことでカリキュラムに定める内容を十分に教育されることを保証するものとなります。なんとなく分かりにくい表現ですが、つまりは実習施設側が実習を受け入れることに対して要件を満たしているということです。実習指導を行うには理学療法士として3年の経験年数が必要となります。それは免許を取得したということだけでなく、実務として理学療法を行った年数です。何年働いていたかということです。最低限これを満たしていないと、実習を終了しても認めてもらえません。
以前、新聞記事などでPT以外の養成校で無資格者が行った授業についてやり直しを監督省庁から求められた学校のことが掲載されていました。国家資格としては違いますが、PTの実習についてもそういうことになる可能性があります。今のところ、施設側の条件というようなものは厳密にはされていませんが、将来的には施設側が学生に対して準備すべきものとしてあがってくるかもしれません。学校にしても開設するためには必要な条件が厳密に決められています。おそらく実習が行われる病院、訓練室にも同じようなことが当てはめられるようになると思います。実習は校外で行う講義のような位置づけです。実習指導者も教員、講師として位置づけられています。だから、履歴書、免許所のコピーなど教員、講師を採用する際に求められるものと同じように実習指導者にも求められるようになってきました。実習施設としては手間なことが増えたということです。これを実習を受け入れている養成校すべから求められるわけです。10校受け入れていれば10回書かないといけないのです。大変です。履歴書も個人情報として簡単にかけるものではありません。取り扱いは慎重になります。なぜ必要なのかを納得してもらわないと書いてもらえません。
何度か聞いた話なんですが、病院にPTとして採用されている人に対して実習指導者としての用件を求める必要があるのかということがあります。経験年数が3年以上だということについては理解できるが、理学療法士の証明として免許所のコピーを出さないといけないということはそれを疑っているということ、つまりは信用していないということかというふうになります。
こういうことを求められる背景にはいろいろな不備のまま学校が運営されていることを懸念しているからだと思います。理学療法士養成校が急激に増えました。各校の状況を監査という形で厚生労働省が見て回っています。全国的にやっています。指定規則を遵守しているか、学則通りに運営されているかなどをチェックしています。監査時に言われることは指定規則に書かれてあることばかりです。しかし、つい5年ほど前まではあまり言われなかったことです。書いてあるとおりにやるのは当たり前のことなんですが、それが最近になっての話ですから困惑することも多いです。しかし、やらずに済むわけでもありませんから、どうやってうまく受け入れていくかを考え、学校、実習施設ともに協力してよい理学療法士を養成していくことにつなげていきたいと思います。現実的にはなくてもいいようになればと思うところが多いでしょう。
厳密には、新規の実習施設にはもちろんのこと、いったん実習施設としての契約が途切れたところにも再度求めることになっています。毎年の報告の中で前年と当該年との実習施設変更届を提出する義務があります。新しく実習施設になったところだけでなく、再度実習施設になったところにも新規と同じ扱いをするからです。しかし、これは施設側にとっては手間が増えることになります。極端な話一年おきに実習を受けてもらうような施設があったら、その度に書類をお願いすることになります。自分が実習指導者の立場ならきっと「えぇ~!」みたいな反応をすると思います。
免許証のコピーも単純なものではありません。監督省庁からの通達があって、原本証明をとることとなっています。これも以前に新聞に掲載された記事ですが、調理師の養成校で偽造した免許証のコピーで採用された講師が講義をやり、やはり講義をやり直しとなったことがあります。そういったことから原本証明の通達になったと思います。ややこしいや~です。
一通り説明が終わりました。何とか書いていただけそうです。もともと説明に来たのも学校ごとに書式や記入項目などが異なるため、不明な点を確認するためのものでした。これも学校ごとに書式や記入項目が違うというのも施設にとっては手間のかかる作業になります。開設者は理事長で管理者は院長という形で求められたりすることもあるそうです。奈良リハの書式では施設長とだけなっています。それは理事長なのか、院長なのかは確かめないと分からないことです。実習指導者も3年以上のPTを全員書くようになっている学校もあれば、一人だけでよい場合もあります。履歴書を求めるところもあれば、一人ずつ簡単な略歴で一行で終わるところもあります。統一されていないために起こっていることですが、学校ごとにこういう違いがあるだけでなく、もっと極端な違いになるとこのような書類を求めない養成校もあります。厚労省管轄と文科省管轄での差。監査が入った養成とまだの養成校の差。実際、同じ法人でありながらも阪中リハと奈良リハでも差があります。不思議なことです。指定規則では必要だとなっているものですが、その書式については様式がありません。その都度、必要な項目を考えて書式を監督省庁に確認して作成しています。この書式で統一するようになっていれば混乱は少ないと思うのですが…。なかなか難しい問題のようです。
たぶん監督省庁には聞けば聞くほど、いろいろなことを求められるのだろうと思います。そうなると今よりも非常に詳細な項目を記入するようなものになるでしょう。また、施設側にとっては手間のかかるものになります。頭が痛くなります。
説明が終わったので戻りましたが、学校へ向かったわけではありません。パークヒルズ田原苑で18時からコンサートがあります。それに聞きに行こうと思っていました。開演時間には間に合いません。途中からになりました。合間に話をしながら歌われます。ピアノでの弾き語りです。奥野勝利(おくの・まさとし)さんという方が来られています。恥ずかしながらよくは存じ上げていません。田原苑に入ったすぐのところに奥野さんのことが書かれてあります。チラッと見たことがある程度です。これまでの経緯が書かれてあります。ある時から放浪の旅に出られたとあります。
奥野さんに関する記事にはいろいろなことが書かれてあります。奥野さんはある手紙を歌にしました。奥野さんが初めてその手紙を知ったのは、あるブログです。そのブログで手紙を見つけ「言葉に表せないほど感動した。自然に曲ができていた」そうです。その手紙を書いたのは、国連で働くことを夢見ながら一九九五年の阪神大震災で亡くなった広島市安佐北区出身の学生さん=当時(21)=が、大学入学時にお母さんに手渡した手紙の一節です。震災後全国に報道され大きな感動を呼んだこの手紙が、奥野さんの手により曲になりました。
ゆったりしたテンポで語りかけるように歌う曲。歌にしたその日のうちに自身のブログ「にこにこ新聞」にアップされました。そして、今度はそのお母さんが奥野さんのブログを見つけて曲の存在を知ることになりました。「私をずっと励ましてくれた手紙が曲になった。息子の体温と言葉がよみがえってくる」。ブログに書きこみ、メールのやりとりが始まったそうです。
作曲した奥野さんは、東京でCMなどの音楽を手がけてきた音楽家です。ある時、広島市を訪れた奥野さんは、あらためてその学生さんの手紙に目を通し「歌うごとに一つ一つの言葉が私の言葉になるのです。息子さんの手紙は今の僕の心境でもある」とお母さんに語りかけたとあります。
もともとシンガポールと米国で育った奥野さんは、三十歳の時に仕事を求めて日本へ来られました。しかし、ストレスで体調不良になりました。両親の住むシンガポールに戻ろうと決意し、その前に日本を見つめる放浪の旅を決めた時にこの手紙に出会いました。その放浪の旅の途中に様々な場所でコンサートを開いています。そのいつの一つが今日の田原苑だったのです。
その歌をコンサートで聴きました。歌の前にお母さんの話がありました。「この手紙は私の命綱」と言っておられました。重たい言葉です。奥野さんは、この手紙を歌にした当初、歌う準備ができていないのに話題先行で歌わなければならない状況に悩んだということです。歌にしたのは感動したからであり、書かれている内容が持つ意味について深く考えて歌にしたのではないとブログに書かれてありました。非常に悩まれたようです。でも、歌った行くうちに気づいたことがあり、今は頑張って歌っておられます。
私自身は積極的に重たい内容についての歌を聴くことはほとんどありません。聴いていると悲しく気持ちによくなるからです。
10年以上前、病院で勤務している時に筋ジストロフィー症の病棟がありました。その病棟に入院している患者さんが合唱団をやっていました。今の自分ができること、これからの自分ができることなどが歌詞になっていました。合唱団で歌われる内容は重たいものがありましたが、担当患者さんが多くコンサートに行ってよく歌を聴きました。みんな一生懸命歌っていました。年一回のコンサートに向けて練習を欠かさずに頑張っていました。
筋ジストロフィー症は基本的に進行性の疾患です。でも、身体的状況によりコンサート参加を断念せざるを得ない方もおられました。担当患者さんで亡くなられる方を多くみてきました。昨年コンサートに出ていた方が今年はおられないこともありました。
転勤になり、何年かはコンサートに行ってましたが、徐々に行く回数が減っていました。だんだんとツライ気持ちになっていったのを覚えています。だから、あまり内容がヘビーな歌は聴きません。なくなった担当患者さんのことを思い出してしまいます。久しぶりにそんなことを考えながら学校に戻りました。いつもだったら車ではボリュームを上げていますが、今晩は無音です。今の頭には音楽はいりません。ただ静かに運転しているだけがいいです。そんな日もあります。
